高校②

高2の秋、叔父が亡くなったと電話。

母の弟に当たる人でよく面倒を見てもらい

お兄ちゃんのように慕っていたので

ショックだった。

家に行くと布団に寝かされている叔父。

親戚のおじさんというのはだいたい厄介者がいるもので、例外ではなく、私に死体検案書を見せてきた。

「失血性ショック」「自死

言葉がでなかった。

高校生に見せてどうしたかったのかわからないが、説明までしてくれ

頚動脈を自分で切って亡くなったと

教えられた。

母はもともとメンタルが強い方ではなかったけど、これで一気に落ち込み体重も激減し欝になった。

母が家のことを何も出来なくなり、私が代わりにやるしかなくなった。

父もイライラするようになり、よく当たられた。

私も寝てばかりで何もしない母にイライラし、よく暴言を吐いていた。

吐かないとやってられなかった。


そんなわけで県外の大学を受験する予定だったのが無理になり、県内に。

さらに資格だけは手にしたいと思い、別になりたくもない看護師を目指すようになった。

とゆうよりは看護学科なら入れる学力はあったので、そこにした。

進学校なのにも関わらず、滑り止めも受けない、上も目指さない、そんな私に担任は呆れていた。

そのあたりから、自分の夢だけを目指せる同級生が羨ましいのと妬ましいのと、なんで自分だけこんな普通じゃない人生なんだという気持ちが強くなった。

でも周りにこの悩みに共感してくれる人などいないし、話したくもなかった。

どんどん気持ちが荒んでいったまま高校生活は終わった。



高校①

高校生になる。

田舎に住んでいたのでとにかく遠い。

しかし田舎故に交通手段もなく、

自転車で通った。


夢も目標もなく入った進学校

周りは夢だらけでそもそものモチベーションが全然違った。

社長の娘、医者の娘。そんな子ばかりだった。

もちろん学年順位は後ろから数えた方が早い。

すぐに辞めたくなった。


下の兄弟も成長し、手がかかるようになったので私への期待も薄くなり、親は何も言ってこなくなった。

正直楽だった。

1年のときから受験受験と大学を意識したものばかりだったけど、高校は楽しかった。

何より、荒んでない子が多いのもあってか、

いじめはないし、あまり他人に干渉もなく

とても楽だった。

初めての彼氏もでき、高2までは順風満帆だった。


中学②

当時の担任の説得と、何人か仲良くしてくれる子もいたので学校に行くようになる。

今思うとよく行ったなと思うけど。笑

そこからはわりと順調に日々過ごし、

いよいよ受験。

何もこだわりもなく、夢もなかったので

行ける学校に行こうとしたら担任と学年主任と親と面談が開かれた。

県内でも上の方の進学校を勧められ、親もその気になってしまった。

見事合格。ほんとにやれば出来る子なのかもしれない。笑

合格発表をうけ、中学に報告に行ったら

「ほんとに受かると思わなかったな」と言われた。

軽く人間不信になった。


今でも中学の仲良くしてくれた子とは

仲良しだし遊んでくれる。

嫌な思い出も多いけど、なんだかんだ

楽しかったのだと思う。

中学①

中学生になる。

田舎の中学なので、自転車通学が普通であった。

片道5キロ近く自転車で通う。

勉強はできる方だった。

しかし、何点をとっても褒めてくれる親ではなかった。

もっともっとを要求された。

のちに「やれば出来る子だったから厳しくした」と弁解されたが、親のエゴ。

何かあれば家のことを手伝えと言われ、弟達の面倒を見ろと言われた。

当時はそれが普通だったから何も感じていなかった。


学習塾に行き始める子も増え、私も行きたくて何度かお願いし、入れてもらった。

送迎もこれくらいの子は親が勝手にやってくれるのが普通なのだろうけど、毎回お願いしないと怒られた。


四人兄弟なのに、専業主婦家庭。

お金に余裕はない。

ましてステップファミリー

そうゆう環境の友達と仲良くなった。

ある日お泊まり会をしようということになった。

口だけ出してくる母が大反対し、私だけ行けなくなった。

そして仲間外れにされた。

当時の私にはその世界がすべてで、

何もかもが嫌になり学校に行かなくなった。

2ヶ月くらいだったと思うけど、

学年30番くらいだった成績は200番くらいまで一気に落ちた。

幼少期②

4歳頃、母の職場の男性と母と私と
休日公園に行ったりするようになる。
男の人の遊び方って新鮮で、
私はすっかり打ち解けたらしい。
そしてこの人が父になる。
祖父は大反対(また?笑)だったらしいが、
私がくっついて離れないため、渋々了承。
祖父母宅を出てアパート暮らし。
祖父母に会えないのが寂しくてよく遊びに行くが、夕方には帰される。
今でも覚えているのだが、
幼心に理解していても納得がいかず、
よく泣きわめいていた。

今思うと呆れるけど、この再婚
またもデキ婚であり、すぐに
ステップファミリーの誕生となる。
5歳になってから、突然の弟登場に
赤ちゃん返り。こうして私の天下は終わる。
この弟が本当によく泣き、寝ない子で
夜な夜なドライブに連れ回された。
夜道が怖くて嫌だった記憶がある。
そこから、さらに弟が生まれ、妹が産まれた。
お手伝いという名の元に、洗濯、掃除、自分の朝ごはん作りをしていた。
さすがの私も2番目の弟あたりから
【お姉ちゃん】という立場での
この振る舞いが嫌になり、
4番目のときは
妊娠中にも関わらず、母に
「自分だけで育てられないなら産まないでくれ」と懇願し激怒された。
でもそれくらい嫌だった。

幼少期①

母に聞いた話なので、あやふやだけど

幼少期の話。


物心ついたころから祖父母と曾祖父母と

暮らしていた。

ようするに片親世帯。

母は私を妊娠し、大反対を受けたため

家を出て結婚。結局産後3ヶ月で離婚。笑

離婚も裁判をするほど揉めたらしい。

実の父は一言で言えばクズである。

失礼だが、ほんとに。

長くなるのでまた別の時に。笑


片親なので母は働きに出ていて

日中は保育園。

家に帰れば祖母がおやつを作ってくれ、

広い庭で遊び、何不自由なく楽しかった。

父がいないため、親戚は可愛そうな子だと

優しくしてくれていたみたいだけど、

いないことが普通だから何も

感じてなかったと思う。